2017年09月07日(木)

老人喰い 高齢者を狙う詐欺の正体 



著者:鈴木 大介
発売日: 2015/2/6

評価〔B+〕 防犯対策の本ではありません。
キーワード:振込め詐欺、世代格差、

詐欺の現場プレイヤーのモチベーションは、異様なほど高い。これは取材を重ねるほど痛感したことだった。(第3章より抜粋)


噂で聞いたかテレビで報道していたか忘れましたけど、振り込め詐欺にはタイムカードがあると知った時は、行き当たりばったりでなく組織化されているのだなと驚きました。すぐになくなってしまうかと思っていたら、かなり長い期間流行している振り込め詐欺ですが、一体どのような人物が何を考えながら犯罪を犯しているのでしょうか。取材によって見えてきた詐欺の実態を明らかにします。

現場の雰囲気や行動を小説形式で書かれているので、臨場感があって分かりやすいです。著者もほぼノンフィクションと考えていいと断言していますので、あの物語のような集団がたくさん存在するのでしょう。予想よりも暴力の世界ではなく、連帯意識の強いブラック企業のようだと感じました。行っていることが犯罪なので読んでいて気分は良くないですが、知らない世界を見るという意味では興味深い内容です。中でも、非行少年ではなく、ごく普通の若者を詐欺集団の一員に育て上げる過程が、新興宗教の勧誘と似ているのは凄かったです。本当によくここまで取材したなあ。

著者は世代格差が原因で、貧しい若者が豊かな老人を食いものにしていて、人材と才能の浪費だと主張しています。確かに世代格差は存在して、下の世代ほど大変です。しかし、取材対象にやや肩入れしているのが気になりました。彼らの活動が違法なだけに。もし著者が言うように、彼らがやる気が旺盛で仲間思いの豪胆なら、体育会気質の会社はたくさんあるのでそこで働けば十分やっていけそう、というのは甘い考えなのでしょうか。それとも、ブラック企業は詐欺集団よりも酷いのでしょうか。そうだとしたら、それはそれで大問題です。

振込め詐欺の裏事情を知ることができる、ためになるノンフィクションでした。




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[ 2017/09/07 21:50 ] 社会・歴史 | TB(0) | CM(0)

2016年04月17日(日)

ルポ 電王戦 人間 vs. コンピュータの真実 



著者:松本 博文
発売日: 2014/6/6

評価〔B+〕 ゲームにおける人と機械の競争
キーワード:将棋、人工知能、電王戦、機械学習、

コンピュータ将棋界のブレイクスルーは、その本流とはかけ離れたところから、ある日、突然やってきた。(第一章より抜粋)


先月、囲碁では人工知能「アルファ碁」が韓国のプロ棋士に勝利しましたが、将棋界では現在進行形で第1期電王戦が行われています。人間と人工知能が先手後手を入れ替えて二局指します。第1局は中尊寺で行われ、人工知能のPONANZA(ポナンザ)が勝ちました。将棋もこのまま人が負けてしまうのか否か、注目されています。この電王戦と呼ばれる対局企画は、数年前から行われているプロ棋士VSコンピュータ将棋を指します。本書は、電王戦がどのように始まり、どのように発展していったかを綴ったドキュメンタリーです。

電王戦のみならず、コンピュータが弱い時代から順を追って紹介しているので、分かりやすいです。プログラムについてまったく知らなくても問題ありません。ただ、将棋のルールくらいは知っておいた方が良い内容です。プロ棋士側の紹介もありますが、人工知能のほうに多く分量がさかれています。

将棋の指し方には個性が出ると言われていますが、ソフトもその開発者も十人十色で面白いです。なかでも印象に残ったのは、ブレイクスルーのきっかけを作ったBonanza(ボナンザ)と、対人ではなく対ソフト用のソフト・やねうら王です。前者の開発者保木さんは研究者で、勝負の世界の人たちとは違う世界の人です。まったく関係ない世界の人が、別の世界に大きく影響を与えることとなったのは、面白いですよね。後者のやねうら王も、出るべくして出たソフトで、しかも優秀な成績を残しているのが凄いです。こうした発想が、また次へと繋がるのでしょう。

将棋の内容そのものは専門的になりすぎるためか、大まかな説明でした。盤面の図があれば良かったと思います。また、勝負した棋士たちの言葉があまりなかったのが残念です。どこがどう違うのかを知りたかったけど、これも将棋を知らない人が読むには専門的過ぎるので省いたのでしょうか。PONANZAの開発者の山本さんについての話が、多かったのも少々気になりました。

私は将棋が好きですし、電王戦も大雑把にしか知らなかったので楽しめましたが、まったく知らない人の場合は読んで面白いかどうかは分かりません。将棋か人工知能、どちらかに興味があれば楽しめるのではないでしょうか。



[ 2016/04/17 21:53 ] 実用 | TB(0) | CM(0)

2012年12月03日(月)

幻獣ムベンベを追え(集英社文庫) 

幻獣ムベンベを追え (集英社文庫)幻獣ムベンベを追え (集英社文庫)
著者:高野 秀行
出版:集英社
発行:2003/01/17

評価〔A〕 生易しいもんじゃないぜ
キーワード:ムベンベ、未確認動物、探検部、アフリカ

「えーと、それでぼくたちは怪獣を探しに行こうと思ってます」(本文より抜粋)


題名にあるムベンベは、コンゴ奥地に住んでいると言われている未確認動物(UMA)です。正式名称はモケーレ・ムベンベといい、探検家たちの間ではネス湖のネッシーと並ぶほどの有名です。1980年代後半、早稲田大学探検部に所属していた著者はこのUMAに興味を持ち、実際にコンゴ共和国(旧コンゴ人民共和国)まで真相を
確かめに行ったノンフィクションです。

読んでいる間、ずっと「すげぇ、本当にやってる……」と思っていました。驚きと憧れと呆れと笑いが混じった感じでしょうか。

ムベンベのことが知りたくなったので、他人の話や報告書ではらちがあかないから現地に行く、と決める決断力と楽観性が凄いです。そして、すぐ仲間集めと情報収集を行い、学生である彼らが企業から協力をとりつけるその行動力も凄いです。もちろん、現地到着後も様々な苦労や予想外の困難にぶつかるのですが、自分達の力で乗り越えていきます。少し違うのですが、でも教育で教えるべき『生きる力』とかって、こういうことなんじゃないのかなーと思わずにはいられませんでした。かなり状況が芳しくなくても、「カワウソもうまい」なんて思えるなんて本当に楽観的でかないません。(笑)

また、普段テレビで見るアフリカとは違う一面が見えるのが面白いです。国が統治していても、村では村の論理が一番であることや、宗教に関する決まりは非常に重要であること、そしてジャングルでは何を狩り何を食べているのかなどなど。それと、野生の肉食獣を見た!なんてレベルではなく、現地の人がどのような生活をしているのかも分かります。探検隊も同じものを食べて同じところで寝泊りしているのですから。いや、凄いよ。とても学生がやることとは思えません。

解説で「この人たち、めちゃくちゃだ!」と評されるのもうなずけます。巻末には隊員たちの簡単な感想があります。本書、文庫版あとがきには、隊員たちの探検から14年後が書かれていて、なかなか興味深いです。冒険心と子供心溢れるノンフィクションでした。




[ 2012/12/03 21:54 ] 随筆 | TB(0) | CM(0)

2012年10月20日(土)

それでもドキュメンタリーは嘘をつく (角川文庫) 

それでもドキュメンタリーは嘘をつく (角川文庫)それでもドキュメンタリーは嘘をつく (角川文庫)
著者:森 達也
出版:角川グループパブリッシング
発行:2008/09/25

評価〔B+〕 ドキュメンタリーは表現だ。
キーワード:ドキュメンタリー、マスメディア、映画、映像

ドキュメンタリーは徹底して一人称なのだ。(第4章より抜粋)


大人になってからドキュメンタリー番組を見るようになりました。日々のニュースとは違って一つの話題に時間をかけている分、じっくり見ることができるが好きです。ドキュメンタリーは客観的な視点で作られ、ニュースの拡大版もしくは特集のようなもの、と思っていましたが、本書を読むとどうやらそうでもないらしいのです。テレビのディレクターや映画監督としてドキュメンタリー作品を手がけ、オウム真理教のドキュメンタリー「A」を撮った著者が、体験や作品をもとに自論を述べています。

ドキュメンタリー映像は表現することで、完全なる公正や中立は不可能だと解いています。確かに、何をとりたいのか、何をどう伝えるのか、と考えていくと主観的にならざるを得ません。人が作るものなので、客観的にしようとしても監督の考えが作品に影響してしまうのでしょう。

また、事実のみ伝えると思われていたドキュメンタリーに、表現するための作為が存在することがあることを知りました。ドキュメンタリーでも取り直しや役者を使うなんて知りませんでした。

タイトルの「嘘」とは、上記の主観やこれらの作為を示しています。客観性が大切なのではなく、作り手の意図や主張、撮る側と撮られる側の関係がドキュメンタリー映画を作ると強調しています。対象への距離ではなく、距離を自覚することが重要とも述べています。

映画以外にもテレビの自主規制の実情も書かれていて、マスメディアの現状が分かります。よく整理された読みやすい読み物ではないと思いますが、これからこの世界で働こうと思う人や、現在働いている人には知っていて欲しい内容です。





[ 2012/10/20 21:35 ] 社会・歴史 | TB(0) | CM(0)

2012年08月22日(水)

壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか 

壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか (岩波新書)壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか (岩波新書)
著者:金子 雅臣
出版:岩波書店
発行:2006/02/21

評価〔A-〕 予想よりも深刻でした。
キーワード:セクシャル・ハラスメント、ドキュメンタリー、男女、

つまり、彼らは依然として、セクハラは女性の側に問題があって、その落ち度を言い立てれば、それでことが済むと考えているのである。(第4章より抜粋)


結構前のことになりますが、ある人から職場でセクハラ(のようなこと)をされて困っている話を聞いたことがあります。なんでも何回拒否しても諦めず、しつこくて精神的にまいってしまったと言っていて、自分が思っていたよりも大変な問題だと思い知ったのを覚えています。よく「魔が差した」と言われるセフハラですが、本当にそうなのでしょうか。本書は、公の労働相談窓口で働き多くのセクハラ問題を対処してきた著者が、加害者と被害者の両方の言い分から、問題はどこにあるのか、なぜ起きるのかを問うドキュメンタリーです。

筆者は「魔が差した、というようなものでは決してない」と断言しています。例として挙げられた事例を読むと分かるのですが、加害者は自分ではなく被害者が悪いと頑なに主張しているのです。セクハラが発覚すれば、加害者はすぐ謝罪するのかと思っていたのですが、実際は個人的な男女の恋愛であると弁解し、なぜ訴えられるのか理解できない人が多いようです。びっくりだ。

被害者が示す拒絶の言葉も、恋愛の駆け引きだと言って認めないのが大きな問題ですが、さらに職場での立場を利用して弱い立場の被害者に迫る、俗に言うパワー・ハラスメントも含んだ社会問題であることが分かります。加えて、つい最近まで社会が男性の性の放埓さに寛容だったことも、加害者の行き過ぎた行為を悪化させる原因となっているのも見逃せません。

自分の家族とうまくいっていないことや配偶者では満たされない欲求が、加害者を罪へとつき動かしているのは分からなくもないのですが、それを拒否している被害者にぶつけるのは間違っています。男性優位社会が終わり、社会人として男性も女性も平等であること認識しない限り、問題は解決しません。セフハラで訴えれられた人々は、「女性は職場の華」の時代は自覚すべきです。

セクハラをする男としない男についても書かれていますが、少々分かりづらかったかも。グループ分けしても程度の差でしかないなど。読解力の問題か。

加害者・被害者両方の言い分を載せた良い本でした。女性が読むには辛いかもしれませんが……。もしかしたら自分も加害者になるかもしれないので、そうならないよう気をつけねばと思います。自分はまったく関係ないと思っている人こそ、既に加害者になっているかもしれませんので、社会問題を知るためにも是非ご一読を。





[ 2012/08/22 21:30 ] 社会・歴史 | TB(0) | CM(0)